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オヤジ全開! [セネガル]

事務所で出張報告書をコピーしようとしていたのですが、コピー機の「部数」を入力するボタンが見つかりません。

(ちなみに操作画面は全てフランス語です!)

しばらくコピー機を前に悩みましたが、わからず・・。

たまたま通りかかった女性職員に尋ねました。

「あのね、2部焼きたいんだけど、どのボタン押せばいいの?」

すると・・・、

「これです」、と言って、テンキーの「2」を押しました・・。

(なーるほど、PCのプリンターのように部数を指定するプルダウンはないのね・・)

「ありがとぅ・・・」、と言いかけたら、

「コピーは焼きませんから・・。『する』んです」、と笑顔でつっこまれました・・・。

(なるほどね・・)

思わず、「やきもちは?」、と返しかけましたが、呑みこみました・・。

無意識のうちに 「オヤジ全開」 なんだろうな・・・。


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オバマがやってきた! [セネガル]

26日から明日28日まで、アメリカのオバマ大統領がセネガルを訪問中です。
おかげさまで、市内の交通規制は大変です。
今日は朝から断続的に交通規制があり、各所で渋滞や混雑が予想されたため、「不要不急の外出は避けるように」とのお達しもあり、私は自宅で仕事をすることとしました。
アメリカの大統領が来るとなれば、日本なら沿道には星条旗を持った人たちが溢れるのでしょうが、セネガルはかなり「あっさり」したものです。
昨日も、「来セ当日になって」海岸通りにアメリカ国旗を飾り付けたり、警備にしても相当「ゆるい」感じがします。

今日、オバマ大統領ご一行は「奴隷の積み出し基地」であった「ゴレ島」に行かれました。ゴレ島は世界遺産です。
アメリカ発の黒人大統領にとって、ゴレ島訪問は外せない行先だったのでしょう・・。

午後2時頃、外がサイレンの音でやたら賑やかになってきたので、テラスから独立広場を見ると、黒塗りの車列が・・。

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おお、大きな星条旗をつけたリムジン車が通過しました。
オバマ大統領でしょうか・・・。
どうやら、ゴレ島への船に乗るため、ダカール港に向かうようです。
沿道にはそんなに人はいません。

さらにしばらくして、港を見ると、何隻かの船がゴレ島に向かって出航しました。

まず、先頭には護衛を乗せた船・・。

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なにやら機関銃のようなものも見えます・・。

その後ろから船と、さらに護衛を乗せた2隻が続きます・・。

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前の船の後部デッキを見ますと・・・、

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セネガル国旗と星条旗の間に立つ男性・・、もしやオバマ大統領では?? 
(そんなわけないか・・・)

そうですよね、私がゴルゴ13なら、確実に仕留められる距離(約1km)ですから、そんなドジなことはしないでしょう・・。

来セ前から相当数の米軍兵士、CIA、FBIがダカール入りしているとの噂が流れていましたが、そんな様子は全く感じさせない、「ゆる〜い」感じの歓迎・警戒ぶりでした・・・。

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さかなクンふれあいの会 [セネガル]

4月某日、ダカール市内でさかなクンとの「ふれあいの会」 が開かれました。さかなクンはその日の夜行便でセネガルを発たれたのですが、さかなクンご 自身からの「子供達とお話しする機会を・・」との申し出を受けて、当地 にいる日本人家族ほかに呼びかけて実現した会です。

午後4時、さかなクンは、セネガル政府漁業省に派遣されている 日本人専門家とと もに白衣姿で登場しました。頭にはもちろんハコフグの帽子です。

2人の白衣には、まるで「入れ墨の彫り物」と見まごうばかりの、フルカラーの魚の絵が描かれていました。袖には5匹くらいの太刀魚、背中にはセネガルの国民魚のチョフ(ハタ) やタコなどの絵がたくさん描かれていました。

1時間ほどの「ふれあいの会」では、ホワイトボードに貼った模造紙にさかなクンがセネガルで「出会った」魚の絵を描き、その魚についていろいろと説明するのですが、絵を描いている途中にその魚の名前を当てた人には、さかなクンがサインをしてその絵を進呈することになっていました。そして、さかなクンが絵を描いている間、漁業省専門家がセネガルで行わ れている水産プロジェクトの紹介をしたり、セネガルの魚の生態とかを説明しました。その専門家もさかなクンに促されて絵にサインをしていました。

さかなクンが描いた絵は、太刀魚、フグ、カツオ、チョフ、タコの5枚だったと思います。 どれも、色をいっぱい使ってとても上手な絵でした。子供達も大人達も大喜びでした。ちなみに、1枚目の太刀魚の名前を言い当てて、サイン入りの絵をもらったのは、「空気の読めない」おじさんでした。会の最後には、家族ごとにさかなクンと記念写真を撮る時間も設けられ、皆、大満足でした。

さて、
この会のなかで、心温まる出来事がありました。

それは、さかなクンが最後のタコの絵を描いていたときでした。何人かの子が手を挙げたのですが、最初に手を挙げた小学生の女の子(Aちゃん)は、その前に別の魚の名前を間違っ て答えてしまい、残念賞としてさかなクン自筆の名刺をもらっていました。そこで、司会の人が2番目に手を挙げた中学生くらいの女の子(B さん)に答えを求め、彼女が「タコ」と 答えて正解となりました。さかなクンはその中学生の子の名前を絵に描き、サインをしまし た。

その後、各家族とさかなクンで記念写真を撮るとき、「タコ」の絵の時に最初に手を挙げた A ちゃんが、シクシク泣いてお母さんに慰められていることにさかなクンが気がつきました。

「どうしたの?」、とさかなクンは尋ねました。すると、「タコ」と当てて絵に名前を書いて

もらった中学生の B さんがさかなクンに,

「さかなクン、ごめんなさい。私、アレルギーでタコが食べられないの。だから A ちゃんにこの タコの絵あげて。A ちゃんの名前を書いてあげて。」、と頼んだのです。

さかなクンは、「そっか〜、B さんありがとう」、と言って、絵に書いた中学生 B さんの名 前の下あたりに、別の小さなタコの絵を描きました。そして、そのタコの口から墨を吹き出させ、B さんの名前を消し、その脇に、「A ちゃんへ」と書いたのです。

中学生の B さんは本当にタコを食べられなかったのでしょうか?  みな、そう感じたと思います。でも、誰もそのことを確かめる人はいませんでした。

最後に、子供達の代表から、さかなクンにお土産が渡されました。一つはセネガルの民族衣 装、もう一つは、セネガルの地元漁師が使う「ピローグ船」と呼ばれる漁船の模型でした。 70cm から 80cm 位はある結構大きな模型です。

実はこの模型は、以前セネガルに来た 我が社の出張者が漁業省からお土産にいただいたもので、「荷物になるから」といって、事務所に置いていったものでした。今回、さかなクンが漁村を訪れた際に、ピローグ船をとても気に入ったらしく、その「置いてきぼりの模型」 に白羽の矢が立ったのでした。

その模型がさかなクンに手渡されたとき、私は「なんで今晩帰るさかなクンに、いまこのタイミングでこんなデカイもの渡す?  さかなクン、置いていけないだろう・・」、と思いま した。 しかし、さかなクンは本当にその模型が気に入ったらしく、「持ち帰って部屋に飾りたい」 と言ったので、事務所のスタッフがしっかり梱包してさかなクンに渡しました。さかなクン はあのデカイ模型を、機内持ち込み手荷物として持ち帰ったのです。


さかなクンは本当に、テレビで見たままの、いや、それ以上の人でした。常に他人や子供達 のことを考え、時間があれば自筆の名刺を描き、色紙に絵を描き、本当にスゴイ人でした。 さかなクンに会った人は、大人も子供も誰もがみんな、笑顔で幸せになれました。日本語のわからないセネガル人でさえもみな、ニコニコして喜んでいましたから、人間のコミュニケ ーションは言葉だけではないということが、改めてよくわかりました・・。 

さかなクンが来る前は、所内会議で、「さかなクンはなんて呼べばいい? 『さかなクンさん』かな?」、とか・・、

「台本には、漁業大臣表敬時には、『さかなクンでぎょざいます』って挨拶することになってるけど、フランス語にどう訳す?」、とか、いろいろな質問がありました。

ちなみに、事務所のセネガル人スタッフは、「Monsieur Poisson」(Mr. Fish)と呼んでいました。

いまでも事務所にはさかなクンからいただいたサイン色紙と、さかな図鑑が置いてあります。

疲れたときに、ちらっと見て、ちょっとホッとしています。

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世間のオヤジ [セネガル]

今の会社に入って9年目となりました。

技術者としての第一線を離れて8年も経ったということですね。

今でも技術者として仕事をしていますし、新たに身につけたものも多いのですが、例えれば大学病院の医局長が開業して町医者になったようなものでしょうか・・。

私の場合、不本意ながら前の会社を離れることになりましたが、結果的には円満退社しましたし、その会社にはいまだに技術的な相談にのってもらって、かつての同僚から大いに助けていただいています。例えるなら、開業医が難しい症例の患者が来たときに出身の大学病院にバックアップしてもらうかのように・・。

「自分のバックには、呼べばすぐに応える、ん百人の技術者が付いている」と真剣に思っていますし、これはとてもありがたいことです。

一方、私が退職した後の会社は厳しい経営環境に晒されてきました。

景気の後退とデフレ。頼みの綱の公共事業は激減し、この8年間で売り上げは半減しています。組織改編、給与カット、つらい日々が続いたことでしょう。中学、高校と一緒だったかつての同僚が心の病に倒れ、帰らぬ人となったという話も聞きました。

幸い私の尊敬、敬愛するかつての上司は関連会社の社長になり、同期入社の友人はみな偉くなっています。私たちが入社した頃は、いわば就職氷河期で、同期入社の技術者はひとケタでした。「選び抜かれた優秀な人材」が揃っていたということでしょう。

最近届いたかつての同僚からのメールには、彼の前任者が出張先の交通事故で大けがをしたことや、会社の人事のことなどいろいろ書かれていました。また、かつての部下からのメールには、「いまの会社は嫌いですね」、と書いてありました。

昨日、その古巣のホームページを見ました。「採用情報」にある「先輩からのメッセージ」には、各部の若手技術者10数名からのメッセージが書かれていました。

誰一人として私が知っている人はいませんでした。

みな私が退職してから入社した若者ばかりです。とはいえ、技術者として8年も経験を積めばもう中堅です。会社を支えている、いわば会社の顔でもあります。各人のメッセージは(ウェブサイト向けとはいえ)希望や意欲に満ち溢れており、ひとしきり読んだ後、「いい会社にいたもんだなぁ・・」と思いました。

複雑な心境でした。

「懐かしいあの人に人混みの中であった・・」、まるで松任谷由実の「グッド・ラック・アンド・グッバイ」のような感じ・・。

ちょっぴり苦々しくて、でも嬉しくなるような・・。辛かったあの頃が今は良き思い出、良い友達になっている・・、それが嬉しいようで少し哀しいとか・・。

そういうとき、そばを打ったり、リコーダーを吹いたり、犬を連れて散歩をしたり、ひとりダラダラと飲んでしまったり・・。

それがいわゆる「世間のオヤジ」です。

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ギョギョ! [セネガル]

セネガルの南隣の国、ギニアビサウに行ってきました。
ポルトガルの植民地だったので、言葉はポルトガル語です。
フランス語も通じます。

首都ビサウ市でも、1日の大部分が停電で、発電機が欠かせません。
ギニア共和国(コナクリ)に比べても少し遅れている感じがしました。ただ、人はとってもいいですね・・。
ビサウではちょうど1年くらい前にクーデター-が起き、いまの政権も日本政府は認めていませんが、援助は続けられています。
こんな教室で勉強している小学生に、新しい学校を建てるプロジェクトが実施中です。

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ところで、
こちらに来て1年が過ぎました。あっという間です。
先月は娘とローマ、パリを回りましたが、ヨーロッパの歴史の深さ、重みを痛感しました。

先ほどまで、NHKの「テレビでフランス語」(録画)を見ていましたが、ロートレックやコレットなど、フランスの芸術家達の生い立ちや生き方、その社会背景を知ると、今のフランスやフランス人への理解が深まるように思います。また、リコーダーを吹いていると、自分自身もヨーロッパの歴史の中にいるかのように感じられます。まるでタイムマシンですね。バンベルク、ニュルンベルク、ローマ、バチカン、パリ・・、すべてが一つの世界と時代のように思えます。サンピエトロ大聖堂で、ノートルダム寺院で、リコーダー吹いてみたかったな〜〜。ちょっとだけ、「ミ」一音でいいから・・。

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フランス語は難しい・・・ [セネガル]

もう2月ですね。
明日から3週間の出張です。
再び、初めて行く国、2カ国です。

今日は久々のフランス語のレッスンでした。
楽しかった・・。先生ともずいぶん話せるようになりました。

一時帰国中に買った「Speed Learning」フランス語版。ただひたすら聞くのですが、いわば、ヒアリングマラソンのフランス語会話版みたいな感じ・・。とにかく聞き流しているだけですが、1ヶ月経って、その効果が・・・。
もちろん、NHKテレビフランス語の録画したものを見たり、こちらのテレビのフランス語ニュースを見たり、いろいろ努力はしてはいますが・・。
久々のフランス語レッスンなのに、会話がスムーズにできて、本当にうれしかった!

レッスンの後、運転手君にも、
「今日はねぇ、単純未来形を勉強したよ。語尾がra・・で終わるよね、このrの発音がねぇ、難しいよねぇ・・。
revenirとかretournerなんて最悪だよね・・。
Je reviendrai, Je retournerai・・・」
って発音したら、運転手君、ウケル、ウケル・・。ハンドルから手を放して手を叩き、ウケてました。

rの発音ってラリルレロじゃなくて、喉を閉じて、痰を吐くような音、どちらかというと、ハヒフヘホに近いんですね・・。
Je retournerai (I will return)は、「ジュ フぅとぅフぅねフぇぃ」みたいな感じでして・・・。

助手席でハフハフ言ってれば、運転手君も笑うよね、まるで宴会芸・・・。


フランス語のあとは、免税店に行ってワインを買い込み、その後韓国料理のArirang(アフぃフぁン)でランチ・・・。

そして、明日からの出張期間中に、プリペイドの携帯チャージ期限が切れるので、
運転手君に「カード(Carte)買いたい」と、5000セーファー(900円相当)を渡したところ、
運転手君はしばらく走って車を止め、カードを買いに行ってくれた・・・、と思ったのですが・・。

なぜか、彼は野菜売りのおばちゃんの屋台に行って、おもむろに、「にんじん」を物色し始めました・・。

(??、あいつ、何してんだ・・・? 八百屋にもカード売ってるの? にんじんよりもまずカード買えよ・・、にんじんじゃなくて・・・・、ん? にんじん・・??)

そこで気がつきました・・・。

慌てて窓を開け、運転手君に叫びました。

「お〜い! Carotte(にんじん、カフぉっト)じゃない、Carte(カード、カフぅト)だ、カフぅト!」

(ん? おなじ?  でもさ、なに考えてんの? 明日から3週間出張なのに、なんでこのタイミングでにんじん5000セーファーも買う? 5kg以上だろ? コメだってそんなに買わないのに・・)

心の中で軽くキレましたが、同時にとっても落ち込みました・・。発音が・・、ダメね・・。

フランス語、むずかしぃ・・・・。





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ひと山越えて・・・ [セネガル]

久々の更新になりますが、もう、12月も中旬に入りましたね。

11月24日から12月5日まで、新たな2カ国を訪問して、8日(土)には久々にフランス語のレッスンを受けて、今日はフランス語の検定試験を受けてきました。

私なんて、最低ランクの試験ですが、それでも大変でした。
筆記と面接はまぁだいじょうぶですが、ヒアリングが全然・・。
いくら設問数が少なくて内容は簡単と言われても、普通のスピードの会話を流されて、ちんぷんかんぷんわかりません。だって、圧倒的に知っている単語数が少ないわけですから・・。
ひとつのダイアログのなかに、わかる単語が二つか三つ・・。その単語を頼りに「勘」を頼って回答する訳ですから、できるはずがありません。
試験が終わった瞬間に残されたものは、「使いすぎた頭の痛み」と「圧倒的な敗北感」・・。

思えば、30代までは「試験オタク」だった自分・・。
アマチュア無線、仕事関連の資格、語学検定、漢字検定、いろいろ受けました。
しかし、2005年に受けたTOEICを最後に試験から遠ざかること7年間・・。
その間始めた新しい趣味は、そば打ちにリコーダー・・。(あるといえばあるけど)基本、試験はありません・・。

でも、今回のフランス語は自分でも納得いかないままに勉強を始め(?)、だらだらとレッスンを受け、ろくに勉強もせず、今日を迎えました。
ここに自分を連れてきたもの(モチベーション)は、フランス語に対する意欲など前向きなものではなく、ストレスとか劣等感に駆り立てられてきた、といっていいでしょう。

3月にセネガルに来てからの自分のフランス語は、「できなさすぎ」です。
たしかに私の場合は仕事でフランス語を使うことはありませんが、職場の会議や、日常生活などにおいてフランス語は必須です。だけど、それでも、「勉強しなければ(使わないので)忘れてしまう」くらいの使用頻度です。

なにより、記憶力の衰えと、それにも増して、集中力、気力の衰えが大きいです。
かつて、そして今も英語は人並み以上であると思っている自分にとって、いまの自分の現状はいささかショッキングですね・・。「といっている間に少しでも勉強すれば良い」。 はい、そういうことです・・・。

技術系の仕事(ほかの業種もそうかもしれないけれど)では、若い頃はひたすら現業で仕事を覚えて、40歳以降はマネジメントや営業の方に移行することが多く、その場合は「若い頃の業績」が「勲章」にも「汚点」にもなります。 いずれにしても、40代以降は「昔の名前で出ています」的な仕事になる方も多いのではないでしょうか?

しかし、私の場合は「幸いなことに」昔の勲章は通用しない「今の自分だけ」の「独り仕事」です。
常に専門外の新しい分野を勉強(?)して、「もどかしさ」や「後ろめたさ」を垣間感じながら、ひとり悶々と過ごす週末も少なくありません。

フランス語には、その仕事に「遙かに及ばない」と感じる「ストレス」や「劣等感」を感じさせるものがあります。(ちょっと大げさか・・)
前任者も、前々任者も何気なく歩み越えたように見えた道ですが、自分にとっては結構な「イバラの道」でしたなぁ・・。

ーーー

それにしても、7年ぶりのこの頭の痛み(特に耳の後ろの後頭部が痛い・・)、そして「一所懸命さ」、すなわち、「努力しなきゃ、今日から勉強しなきゃ・・」と思い、帰ってきてすぐにフランス語のテキストを開き、そしてなぜかすべての靴を磨き、扇風機の羽根を外して洗い、そして久々にブログを更新する、この一連の作業への没頭・・・。
そしてなによりも、「逃げないで良かった」とちょっと自分を褒めたいプチ温かな気持ち・・・。

久々に、「児童公園の丘」くらいのヤマを越えて、ちょっとホッとしました。なので、これから笛吹きます。
(笛の発表会も試験みたいなものかなぁ・・・。)

明日はまた、例のセネガル航空早朝便で「同じようなところ」に出張です・・。
今晩は早く寝ないと・・・。





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風前のともしび・・・ [セネガル]

今日は犠牲祭(タバスキ)で休日です。
ここでは各家庭で羊(ムトン)を生け贄に捧げます、というか、みんなでワイワイ解体して食べます。
午前中には捌かれて、お昼ご飯はみんなムトンです。
先日出張に出かけた際には、タバスキ直前大セールで、道もえらく混んでいました。

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道の脇ではあちこちで羊の群れ・・。羊の脇では発泡スチロールに蛮刀やら包丁やらを刺して売っている人もいます。
「羊を買うなら、包丁もどうぞ」みたいな感じ・・。

車の上には袋に詰められて身動きのとれなくなった羊たち。

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タクシーのトランクにも、ぐったりとした羊。

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羊たちにとっても最後の夕陽?

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日曜日から地中海方面に出張です・・・。

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羊が一匹、羊が二匹・・・ [セネガル]

犠牲祭(タバスキ)が近づいてきました。
各家庭で羊を捌いて神に捧げる、そして食べるのです。
セネガルでは26日が休日になります。
いま巷はタバスキに向けて「出荷前の羊」で溢れています。

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田舎では、一頭5万Fcfa(9000円)くらいから売られるそうです。
昨日から地方出張でしたが、田舎で買った羊を運ぶバスやタクシーが多いこと・・。

ところで、山羊と羊の見分け方わかりますか?
しっぽがぴょんと上がっているのが山羊、下がっているのが羊です。

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ミニバスの上に、パンダ顔の羊と笑顔の羊、その間にあと2頭乗っています。
ともにバイクの下敷き[あせあせ(飛び散る汗)]

 うう、哀れ・・。
(でも、ジンギスカン食べたい・・)


あ、ところで今週末はFRQのコンサート、とても楽しみです・・。



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夕焼け・・、1日の終わりが見せる美しさ [セネガル]

今日は夕陽がとてもきれいだった。
帰宅して寝室の窓を開けると、ダカール商港は夕焼けに染まっていた。

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先ほど父親からメールを受け取った。
同じアフリカで仕事をしている私のいとこが紹介されたニュースの静止画像を2枚ほど送ってきたのだ。
90才の父親が、デジカメやらパソコンやらを駆使して送ってくる写真はどれも「懐かしさ」を感じるものばかりだ・・。

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父は厳しく、子供の頃は随分殴られたが、それは自分が悪いことをしたからであって、そのことを自分は十分知っていたから決して父親を恨むことはなかった。母親は、私がどんなに「助けを求める視線を投げかけても」、父が私を叱り終わるまでじっと黙って見たいたが、そのあとには必ず優しく私を諭し(父親の鉄拳の意味を私に言い聞かせ)、最後にはいつもなにか温かいたべもの(たとえばインスタントラーメン)を出してくれた。
「確固な、一枚岩の両親」ほど子供にとって心強いものはないのである。
そんな両親を子供の頃からずっと尊敬してきた。

今、私のことを、「〇〇君」と、「君づけ」で呼ぶ父からは、往年の「陸軍将校」の面影は想像もできない(自分もそのころの父は写真でしか見たことがない)けれど、いつも、自分の年齢のころの父を思い浮かべては、「自分も頑張らなければ・・」と思っている。

セネガルに赴任する前に実家を訪ねた際に、

「2年か・・、3年ならオレも保たないぞ」、と父は言った。

「いや、100まではいけるだろうから、お父さんが98くらいになったら考えるよ。」と言って私は実家を後にした。

---

「残された時間はあまり長くないかもしれない」、そう思っていつもすぐにメールの返信を書く。
このブログのことは両親も知らないが、なぜか教えるのはちょっとためらう・・。

セネガルに来て4ヶ月が過ぎた。
24ヶ月はおそらくあっという間だろう。

「次に帰ったら、少しは親孝行をしなければ・・」

いつも、だれもが、そう思う・・・。



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