未亡人はいなかった・・ [カンボジア]
昨日本当に久しぶりにタケオに行ってきました。
というのも、先々週インドネシアに行った際にかつてタケオで一緒に仕事をした同僚がいて、私たちが計画した施設の一部がカンボジア側独自予算である程度作られたと聞いたからです。
そして昨日、ついでなので、これまた久々に結核未亡人を訪ねることにしました。
この未亡人とは本当に長いつきあいになりますが、書くとあまりにも長くなるので、もし良ければ1年前のブログから遡ってみてください。(http://hassamugawa.blog.so-net.ne.jp/2007-04-23)
現場に行く前に、3号線沿いのトラムコックの市場でコメ(精米)を購入しました。
最近の世界的な穀物価格の高騰は、ここカンボジアでも農家の生活を直撃しています。とにかくコメの価格が昨年に比べて2倍になったのですから・・・。
カンボジアの貧困農家は所有土地面積が小さく、灌漑施設のないところでは雨季一作しかできませんし,収量も低いので到底自給などできません。要は「コメを買わないといけない」のです。だから、コメの価格が2倍になったらそれは大変なことになります。収入が倍になる訳がないのですから・・・。
さて、現場への道にまずは驚嘆しました。簡易舗装ですが、上流まですっかり舗装されていたのです。
さらに、上流の貯水池には立派な洪水吐が建設され、貯水池にも結構水が溜まっていました。
そして、下流の水田では、まだ雨季が始まって間もないというのに、すでに田植えが終わっていました。
スゴイ!
「何も変わってない」と以前に書きましたが、たしかに変わりつつありました。
そして、いよいよ未亡人宅を訪ねました。
上流にあんな立派な貯水池があるのに、未亡人宅前の幹線水路は「カラッカラ」でした。
とはいいながら、未亡人宅にも少しの変化がありました。
1年前と比べると、屋根にはトタンが張られ、壁も一部は換えられています。
未亡人が見あたらないので探していると、近所の人が娘を呼んでくれました。6人娘の2番目、30才独身です。彼女も身体を悪くしています。
「お母さんは?」、と訊くと、
「4ヶ月前に死にました」、と彼女は応えました。
しばらく、声が出ませんでした。
62才だったそうです。最後は結核で体が弱って亡くなったそうです。
「お墓は?」、と訊くと、
「火葬にして、あそこら辺に埋めた」、と彼女は言いました。
私は、トラムコックで買った25kgのコメを置いて、プノンペンへの帰路につきました。
道路も良くなったし、上流では貯水池も整備されました。近くには公的医療機関の分院と保健所もあります。
未亡人は身体が弱く、コメを買うために土地を少しずつ手放して、最後は土地無し農民になりましたが、だからといって働くこともできず、村人やお寺の世話になって細々と生き延びていました。近くにはNGOの活動拠点もありましたが、様々なサービスは彼女には届かなかったようです。間違いなく彼女に届いたものは、「2倍になったコメの価格」だったでしょう。
「届かなかったら受け取りに行けばいい」、そうかもしれません。そのことを知っていれば、そしてそこに行くまでの交通費や体力があれば・・。
「人道援助」 は食料援助から始まって、保健、教育、と続きます。そしてこれらは多くが「アフリカのためのもの」と考えられがちですが、比較的豊かとされるアジアの田舎にも同じようなところはたくさんあります。
しかし、ここで問題なのは発展過程で複雑化した社会構造のなかで、「固定化された」、「脱却できない」貧困の問題です。
つまり、「一見豊かに見える都市の発展の影で、援助関係者でさえこうした現実に目が行き届いていないこと」、「『富の集中』により、富裕層が障害となって援助が届かず、貧困層が置き去りになっている現実」がここでの問題なのだと思います。
プノンペンでは42階建てのコンドミニアムが建設中で、すでに8割以上売れているとのことです。しかもほとんどが一括払いで・・。
この42階建てビルのことを未亡人は知らなかったでしょうが、知っていても興味はなかったでしょう。
一方、彼女の家の近くにある病院やNGOの活動は知っていても、お金と勇気がなくて行けなかったでしょう。
最後に会ったとき彼女は、「病院に行っても良くならないからもう行かない」と話していました。もうあきらめていたのだと思います。病気のこともさることながら、空腹の方が気になっていたのではないかと思います。
ここカンボジアでも保健医療や教育関係の無償援助は多く行われています。しかし、本当の貧困層にはそういったサービスになかなかアクセスできないのが実状です。
まず、そこまで行く足がありません。どんなに「無料」といっても、「無料にたどりつくまでにはお金がかかる」のです。
ならばどうすればいいか? 交通費まで出してあげるのか? 一戸一戸訪ねていくのがいいのか・・?
難しい問題ですが、ただひとついえるのは、「収入があれば学校も病院も自分たちで行く」、ということです。当たり前のことですが、要するに「農家には生産性を上げさせることが不可欠」ということです。
かんがい排水施設整備も必要でしょうし、営農技術指導も必要でしょう。農民組織強化も有効かもしれません。収入増のために、ひいては流通やマーケティング、付加価値をつけるための加工・貯蔵への協力が必要かもしれません。
「即効性」という観点からは縫製工場への出稼ぎが手っ取り早いかもしれませんが、それは長い目で見れば社会構造の歪となります。やはり、農家が自分たちが最もなじんだ仕事、「農業」によって収入を向上させる道筋の手助けをすることが、回り道のようですが、最短距離なのです。
「ずっと待ち続けた」未亡人は、結局なにも良くならないままに亡くなりました。身体を壊し、土地を失い、娘たちは大部分が地元を離れ、唯一独身の次女だけが彼女のそばにいて、土地なし農民として働いて食いつないできたのです。
ブータンで農家に、「あなたは今の生活に満足していますか?」、と訊くと、95%以上が「満足しています」と答えました。どんなに貧しい田舎村でも。
しかし、私はついに未亡人にその質問はできませんでした。
8年前に65ドルから始まった彼女との関係。子豚を持っていったり、コメを持っていったり、お金を渡したり・・。そのたびに手をとって頭を下げ、行くだけでも笑顔を見せてくれましたが、その彼女もすでに逝ってしまいました。
それでも、私はこれからもタケオに行こうと思っています。
富の集中により、富裕層が障害となって援助が届かず、貧困層が置き去りになっている現実、日本もだんだんそうゆう方向に向いてきている気がします。
by 飛騨の忍者 ぼぼ影 (2008-05-25 16:16)